画廊事始め|名古屋の画廊ギャラリータマミジアム

下山直子の画廊事始め〔『中日新聞』2000年10月3日(火)掲載記事より〕/下山貴弘〔『中部経済新聞』2008年10月15日(水)より〕

貸し画廊と貸しギャラリーは愛知県名古屋市中区にある画廊ギャラリータマミジアム。企画画廊として企画展も開催しております。

感性信じて作品選ぶ―『中日新聞』2000年10月3日(火)掲載記事より

感性信じて作品選ぶ 〔画廊オーナー下山直子さん〕

下山直子の中日新聞記事

芸術家と客の懸け橋に

 今年で創業250年という名古屋・栄にあるしにせの眼鏡店に生まれた下山直子さん(31)。多摩美術大学絵画科で学んだ彼女だが、身内に画家がいたわけでも、絵が得意だったわけでもない。美術との接点はなく、中学時代までは美術には関心を持っていなかった。

 高校に入った下山さんは、何となく美術室を訪れたのがきっかけで美術に目覚める。以来、学校帰りに美術館やギャラリーに足を運んだり、画集や美術雑誌を買い求めたり。その魅力にどんどん引き込まれていく。「音楽だと幼いうちからレッスンを積む必要があるそうですね。その点、美術系は高校から進学準備を始めても間に合いました」

 学生時代は油絵に限らず水彩、写真などさまざまなジャンルを幅広く学んだ。美術館の展覧会、工芸展、ギャラリーも可能な限り見て回る生活。大学院に進学してデザインを専攻し、修了後は母校のデザイン研究室に助手として勤務していた。

美術離れ眼鏡店修行も

 「父は強いて何も言いませんでしたが、やはり、店を継いでほしいという気持ちはあったと思います」

 先輩に当たり、同じ大学の図書館に勤める彼との結婚が決まった下山さん。これを機に、名古屋に戻って夫とともに父の元で眼鏡店経営を学ぶことになった。

 「経営学や眼鏡に関する知識から接客まで、勉強に必至。 2年ほど美術から離れた生活が続きました。そんな中で『美術に触れていたい!』という思いが少しずつ募っていたんですね」 昨年、250周年を前に店舗ビルを改修し、2階以上をテナントとして貸すことになった。 「この立地の良さを生かして、2階に画廊を!」と考えついた下山さんは、まず夫に相談。彼女の気持ちを理解する彼は賛成してくれた。

 ビルのオーナーである父は当初、渋っていた。しかし、他のテナントと同様にキチンと賃貸料を支払うという条件で合意。夫のサポートを受け、画廊のオープンとなった。

地域文化に貢献したい

 「画廊主としては素人同然で始めました。でもそれが幸いし、写真、油彩、版画・・・と自由に展覧会の企画が立てられたんです」と言う下山さん。自分の目で見て「いいな」と思う現代作家の作品を集めている。

 下山さんが意外に思ったのは「みなさん美術をむずかしく考えていらっしゃる」ということ。「頭で考えず、感覚的に見れば楽しめるのでは」とアドバイスする。 彼女自身は作家と客との懸け橋となるべく、技法、作家の来歴、作品の背景などの勉強を欠かさない。作品を引き立てるよう、展示にも心を砕く。

 「ギャラリーは入場無料です。ショッピングやカルチャーセンター教室のついでに立ち寄る主婦、昼休みのサラリーマン、かつて私のように美大を目指す高校生・・・いろいろな人に来ていただきたい」 「美術市場は冷え切っていて経営的には厳しいですが、地域文化に多少でも貢献できるという思いが励み。この仕事に運命のようなものを感じています」。美術を心から愛する気持ちがひしひしと伝わってきた。

(ライター・伊藤実和)

〔『中日新聞』2000年(平成12年)10月3日(火曜日)掲載記事より〕

『玉水屋』美術部の再現―『月刊なごや』2010年2月号掲載記事より

アーティストと美術ファンの 幸せな出会いの場に育てたい

『月刊なごや』ギャラリータマミジアム紹介記事

 ビジネスやショッピングの中心地、名古屋・栄。その中心、錦3丁目の玉水ビル2階にあるギャラリー『タマミジアム』は、今年、開業11年目を迎えた。


 ライトグレーと白を基調にした展示スペースには作品が整然と並び、クラシック音楽が流れる。ここが名古屋一の繁華街であることを忘れてしまいそうな静かな空間。


 オーナーは、このビル1階で創業260年の老舗眼鏡店『玉水屋』を営む津田節哉さんの次女、下山直子さん。展示会の企画・運営、貸し画廊としての運営などを手がけている。


 「版画、油絵、水彩、写真…など、ジャンルにとらわれずに、自分の目で見て『いいな』と思う作家の作品を集めています。才能のある作家を世間に紹介し、育てていくことも大切なことだと考えています」


いつも美術にふれていたい

図版=1階は宝暦元年(1751)創業の眼鏡店『玉水屋』。2階がギャラリー『タマミジアム』 下山さんとアートとの出会いは高校時代。たまたま入った美術室で目にした作品が、美術にめざめたきっかけだった。

 「誰の作品だったのか覚えていませんが、一枚の絵画でメッセージを伝えることができる力強さに惹かれました」


 それ以来、学校帰りに美術館やギャラリーに足を運んだり、画集をながめたりと、その魅力にどんどん引き込まれていき、東京の多摩美術大学絵画科に進学。油絵だけでなく、水彩、版画など幅広く学んだ。大学院ではデザインを専攻、修了後は母校のデザイン研究室に助手として3年間勤務した。


 この時期、大学の先輩であり、母校の図書館に勤務していた下山貴弘(よしひろ)さん(現・玉水屋専務取締役)と知り合う。平成9年の結婚を機に、後継者として二人で『玉水屋』へ。

 「二人で眼鏡のことを必死に勉強しました。そんな中でも『美術にふれたい』という思いだけは持ち続けていました」

図版=左から『玉水屋』社長・津田節哉さん、次女でギャラリーオーナーの下山直子さん、娘婿の下山貴弘さん

〔図版(上)=1階は宝暦元年(1751)創業の眼鏡店『玉水屋』。2階がギャラリー『タマミジアム』〕


〔図版(左)=左から『玉水屋』社長・津田節哉さん、次女でギャラリーオーナーの下山直子さん、娘婿の下山貴弘さん〕


 『玉水屋』美術部の再現

 「多くの人が行き交うこの場所に、アートにふれられるスペースを作れたら」と父に提案。

 「最初は『片手間ではできないぞ』と反対されましたが、父も美術に理解があったので、『ビジネスとして確立させるなら』という条件で納得してくれました」


 じつは、長い歴史を持つ眼鏡店『玉水屋』には、明治から昭和にかけて工芸品や陶芸品などを扱う美術部門があった。

 「平成の時代になって、画廊を開いたのも、何かの縁のような気がします」(社長の津田節哉さん)

 都心の真ん中のアート空間には、毎日、さまざまな人が訪れる。

 「画廊というと難しいイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、お子さんとご一緒にご覧になるのも楽しいですよ。ショッピングやお仕事の合間に気軽にお立ち寄りいただきたいですね」

(ライター:杉山美木)

図版=作家を迎えての催し「ギャラリートーク」には毎回、多くの美術ファンが集う。写真は西尾市出身の画家・斎藤吾朗氏。

〔図版=作家を迎えての催し「ギャラリートーク」には毎回、多くの美術ファンが集う。写真は西尾市出身の画家・斎藤吾朗氏。〕


〔『月刊なごや』2010年2月号通巻第329号「百選会訪問記」(北白川書房)より〕

跡継ぎ 天職として―『中部経済新聞』2008年10月15日(水)掲載記事より

 株式会社玉水屋9代目・専務 ギャラリータマミジアム代表 下山貴弘氏

中部経済新聞に掲載された下山貴弘

玉磨かざれば光なし―継承

 下山貴弘(しもやま・よしひろ)さん。めがねの『株式会社 玉水屋』(本社名古屋市中区錦三ノ二四ノ一二)専務。創業宝暦元年(一七五一年)というから、ゆうに二百五十年を超す老舗の若き九代目。社史「“ザビエルの贈り物”―玉水屋とその240年」。美術に憧れ、めがね屋にも名古屋にも、まったく縁も由縁もなかった下山さんが、今、創業者津田家の第八代津田節哉の下で、精進の日々。座右に「玉磨かざれば光なし」。

(論説委員 加藤忠範)


株式会社 玉水屋―。

玉水屋精神

  視力保全 能率増強

  明粧快適 明鏡止水

  眼鏡藝術 文化精進

  迅速誠實 自己反省

  四恩感謝 師親客品

   玉磨かざれば光なし

 一九九一年一〇月一日に刊行された玉水屋の社史。

 九代目下山貴弘さんの座右の銘、だ。

 貴弘くん、昭和四十一年九月二十三日、三鷹市の生まれ。父下山一司(かずじ)さん、母愛子さん。帽子づくりの職人さんである。

好きな美術で母に苦労

 「帽子そのものが衰退していく世の中、幼い頃は貧乏だった。友だちは私立中学に進路を決めており、ボクも行きたくて父親に無理なことを言い、母親に怒られたことも」

 その父が脳腫瘍で他界。享年四十六歳だった。貴弘くん十四歳。

 高校受験どころではない。が、母親の

 「お前の好きにしていいよ」

の一言で、都立三鷹高校へ。卒業を控え、大学進学に悩む。このときも、母親の“好きにしていいよ”の言葉。

 国立大の入試に失敗、結局、育英会の奨学金を借りて、私立多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻に入学を果たしたのである。

 「好きだった美術に進むことに。母には二重の負担をかけることになったが・・・」

 知識の吸収に努めた。大学の附属美術参考資料館で仙仁司学芸員と出会って、展覧会、美術館・博物館巡りは現在まで続いている。

“めがね”で新天地拓く―新ビル機に美術も開花

 大学から大学院へ進学。浪人時代の予備校の非常勤講師で生活費を賄いながら修了、大渕武美、伊藤俊治両教授の知遇を得て、母校の図書館(大渕館長)に就職。

結婚が人生の転機に

 「まさに天職だと思った」

 いずれの場合も、“お前の好きにしなさい”と母親が背中を押してくれた。

 そして、人生の転機―。

 図書館へ通う大学院生、名古屋・玉水屋の次女、津田直子さんとの出遭い。彼女は大渕研究室の助手になった。

 多摩美術大学創立六十周年記念展で、二人が関わるうち、決定的な転回点を迎える。

 津田直子さんとの結婚、だ。

 平成九年三月、恩師の了解のもとに図書館を退職して、挙式。沖縄のルネッサンスホテル。

 名古屋へ戻ってから、改めて披露宴。

 新婚生活のスタートは、朝から晩まで二人そろって“眼鏡学”の猛勉強だった。下山さんは、社団法人日本眼鏡技術者協会の認定眼鏡士となった。

 今では二人の愛娘に恵まれた。長女□(□)ちゃん、次女□(□)ちゃん。

 「難解な名前だが、それぞれに意味を持たせて」

 下山夫妻、にっこり。

 平成九年十一月、玉水屋ビル改築で二階に“ギャラリータマミジアム”を設立、代表となった。いったんは、あきらめたかに見えた美術だったが、やっぱり・・・。多摩美術大学校友会愛知支部事務局も設けられた。

 下山夫婦は、めがねと美術に、夜遅くまで全力を注ぐ。休日を除いては一家団らんはないが、子どもたちは義父母の世話で安心。

 “玉磨かざれば光なし”―九代目の王道を進む。


下山貴弘氏の略歴

平成4年3月 多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了

平成4年4月 多摩美術大学図書館に就職

平成9年3月 同大学図書館を退職

平成9年4月 株式会社 玉水屋に入社、取締役

平成11年 ギャラリータマミジアムを設立、代表

平成20年8月 専務

昭和41年9月23日、三鷹市生まれ

家族 直子夫人と二女

現住所 名古屋市名東区藤が丘

下山貴弘氏の現職

◇専務=株式会社 玉水屋

◇代表=ギャラリータマミジアム

◇公職=愛知県眼鏡小売商協同組合青年部副部長、協同組合名古屋専門店協会青年部会計


〔写真中央=「玉磨かざれば光なし」―伝統として伝わる家訓を自らの座右の銘にする9代目・下山貴弘さん〕

〔写真左上=ビルの2階は“ギャラリータマミジアム”。多摩美術大の先輩画家斎藤吾朗画伯(左)と貴弘代表〕)

〔写真左中=義父の津田玉水屋社長と娘婿の下山さん、直子さん(社内で)〕

〔写真左下=幸せいっぱいの下山一家=夫妻と次女□、長女□ちゃん〕

〔写真右上=第15回アジア・太平洋オプトメトリー大会に参加した下山さん(平成17年、東京ビッグサイトで)〕

〔写真右下=多摩美術大時代は同好会陸上部で活躍〕

〔図版=中部経済新聞2008年10月15日(水)第20897号(中部経済新聞社)より〕

〔※文中の個人名の一部を「□」で代用させて頂きました。〕

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